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2016-02-22 一番の幸せ

幸せほど、人によってその大きさが異なるものはない。
また、状況によって、その大きさが違って見えるという化け物が幸せである。
しかし、各々多々〈かくかくたた〉な幸せの中で一番の幸せはこれだろう。
自分の母親の料理より不味い飯にであったことがない。』(典拠)。

料理が不味い母親を持ったことが、ではない。
そういう母親の下〈もと〉に生まれなかったことが、である。
お酒もそうである。
うまいお酒である必要はさらさらないのである。

そういうお酒は美人と同様に、はっきりいってすぐ飽きるのである。
美人と同様にまた逢いたくなるけれど。
不味くないお酒が、呑んでもなんともないお酒が、すなわち体には叶うが心まで揺すぶらない
日常的なお酒が一番いいお酒なのである。すなわち、まずくなければお酒は良し、である。

ただし、紙パックに入ったいわゆる「お酒」は素人が呑むお酒ではない。。
あれは味がないからである。不味くないということは味がないという事ではないのである。
体がウンといっているのだから間違いはないということである。
この料理はウンといえるか。見た目はではちょっと、という人が大方なのではないか。

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カネの茶碗にカネの箸は、日本人が一番毛嫌いする情景だからである。
器に趣がないからである。
チョウセン人もその感覚が養えないうちは、永遠に日本人の視角外の人なのである。
こっちには来てほしくない人達なのである。感覚が合わないからである。

日本の陶工は、秀吉が朝鮮から連れて来たという話を聞いたことがあるが、
そもそもそんな文化は朝鮮にはなかったのにだれかがでっち上げた為にする話なのか。
それとも、陶工は本当にいたとしても、本の一部の文化だったのか。
いずれにしても、チョウセン人は今なお金属の食器、金属の箸を使っているのは確かである。

『[料理の]写真見たけど、こんなもん余裕で食えますわ。たぶん美味い。』(典拠米)。
庵主などは、その中国で、いく皿かの歓迎料理と一緒に出て来た木製の割り箸に黴が生えて
いてもその箸で平気で頂戴した事がある。
お酒もそうだが、まずは呑んでみないと判らないとという態度だからである。

だだし、爬虫類やなんとかの脳味噌だけは見ただけでお断りである。
もちろん人間の肉はノーサンキューであることは当たり前の前である。
『ミャンマーの密造酒も飲ませてもらったことはあるがこれも吐いた。美味い不味いの範疇で
測れる味ではない。毒である。これを常飲してたら長生きはできまい。
』(同前米)。

by munojiya | 2016-02-22 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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