2016-02-26 写真がある時点でそれは嘘
日本人は真面目だから、それを「真実を写す」と読むのである。
庵主は、性格がひねくれているから、それを「真〈も〉っともらしく写っている」と読むので、
写真に真実性なんかさらさら求めていないのである。むしろそれが出て来たら嘘だと思うのだ。
性格がひねくれているとは書いたが、それを自覚しているから全然問題ないのである。
しかも、ひねくれているだけであって、歪んではいないからである。
ひねくれている場合は、それが目指すところは真っ当だからである。
しかし、歪んでいるときには、向かうところが不善だからよくないのである。
出版社のネタの一つに、宇宙人グレイの写真というのがある。
そういう写真の特徴は明瞭に写っていないボケ写真だということである。
明瞭にしたら、月世界上陸(月に降り立つ事は上陸でよかったっけ。上月かも)写真のように
スタジオで撮った写真だとバレてしまいかねないからである。
時に、明瞭に写っている写真が出てくる事がある。
「沖縄に配備された核兵器の写真」があるという。この場合のルビは「やらせ」である。
写真を読めない通信社がそれをそのまま配信したというので、物笑いのタネになっている。
大手酒造会社のお酒だって、写真に撮ったらうまそうに見えるのである。
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こういう写真もあるので存分に楽しんでいただきたい。
写真の裏側が見えるかということである。
写真を示すことは、未知の人の知見を広げる事にもなるが、視野をその想像の範囲に限定する
事にもなるのである。その写真が例外中の例外だったりするのである。美人写真のように。
こういう正直が好きだ。
『3枚目[の写真]はそこにいた給仕さん「朝鮮にいて楽しいか?」と聞いたら静かに首を
横に振ったのが印象的
これは教育やろなあ』(同95)。
最後の「教育やろなあ」というのは、その従業員に対してきちんと教育しなくてはならない
のだろうなという事なのだろう。外国人に、本当の事を言ってはいけないとわけである。
次の場面は、善意(好意)と見るか、悪意(蔑意)と見るかは別れる所だが、庵主は終戦後に
米兵がジープからガムやチョコレートをばらまいていた光景と重なってしまうのである。
『北朝鮮のお国柄なのか、貰った時はそっけなく「ありがとう」って言うんだよ
ところが裏に回ってみるとすごくうれしそうに鉛筆を抱えて歩いていたり
友達とハイチューやらチョコやらを分け合いっこしながら食べているのをみると
なんだか優しい気持ちになれたで』(同73)。人に物を贈ることは難しい。