2016-03-11 見出しの付け方
極端なことをいえば、見出しを見れば、それを付けた人の人格が判るのである。
「教養」は「知性」という意味である。
「品性」は「人柄」の事である。
「人格」とは、その人の人間の「器」のことである。
器は大きければいいというものではない。
かといって、小さいほうがいいというわけでもない。
結局はその人の天性によって決まるのである。
庵主の器は小さい。
最近は、お猪口に一杯の酒量で酔っぱらうようになってしまった。
考えようによっては、少量で酔えるのだから経済的になったのである。
少量をエコと呼ぶならば、エコ体質になってきたのである。
これからは邪推である。専らその見出しを見た庵主の側だけの問題である。
見出しの読み方で、読み手の性格が判るのである。庵主はそれで性格が悪いと自覚するのだ。
青雲和尚のブログの見出しにこういうのがある。『愛子を楽にさせては』(典拠)。
「楽にさせる」という言葉を別の意味にとって頷きそうになるのだ。性格が悪いでしょう。