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2016-03-26 物を贈るのは難しい

物を贈る人は善意もしくは好意のつもりなのに、
それを貰った人は迷惑乃至侮辱にしか思えないという事はよくあることなのである。
人に物を贈る時の最低の基準は、それを貰ったら自分は嬉しいかという事だという。
そして、自分にとって最も大切なものを贈るのが本当の贈り物なのだという。

後者の基準では、自分の命を捧げるというのが至高なのだろうが、それはなかなか難しいから、
前者の基準で物を贈るのが常だろう。
児童擁護施設にランドセルを贈る人がいるのだという。
勿論それは善意である。時には匿名でそれをやる人もいるのである。人の迷惑も考えないで、

『[施設の保育士によると]多くの人がランドセルを寄付してくれるが、「施設の子は洋服
なども古着が多く、あまり買ってあげられません。小学校を通して使うランドセルくらいは
本人と一緒に選んで買ってあげたい」
』(同)というのである。。
自分ではいい事だと思ってやっているのに、相手は困惑しているという事はよくあるのである。

庵主にお酒を贈ってくれる人がいる。このご好意は嬉しいのである。しかし、庵主はお酒は
好きだが、量が呑めないのでその後始末に困るのである。物を贈られるのも難しいのである。
因みに貰って一番嬉しい贈り物は四角くて薄いものだが、その贈り方は一番難しいのである。
直接当人に渡すと賄賂と見做される事もあるからである。

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養護施設にもそうだが、災害の被災地でも、使い古しの物資を支援と称して送りつけてくる人
がいるというのである。
そんなボロや、自分では使いたくもないがらくたを、人が受け取って喜ぶかという事である。
悪意が過ぎるというものである。そんなものは善意なんかではなく、嫌がらせである。

その振る舞いは名人かに似ていると思ったらチョウセン人のそれである。
相手の神経を苛立たせるという点ではチョウセン人の嫌がらせの押し売りと瓜二つなのである。
南鮮人からの「従軍慰安婦」や、「東海」や、「戦犯旗」だのといった嫌がらせは、そういう
贈り物なのだと思えばいいのかもしれない。開けずに捨ててしまえばいい物だという事である。

by munojiya | 2016-03-26 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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