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2016-06-19 うまい絵に逢う

「うまい絵に逢う」の「うまい」は「上手い」ではない。
「美味い」である。
「美味い」と書くと「おいしい」とも読めるから、「旨い」と書いてその意味をただ一点の
満足感ということに限定しておいた方がいいかもしれない。

漢字は良くできている。漢字を使った駄洒落は日本人の基礎教養の一つである。
「櫻」を「二階(貝)の女が気(木)にかかる」と洒落たり、「信者」と書いて「儲ける」と
読むというようなものをいう。「親を切る」のは親切だという怖いのもあるが。
その伝で、「嗜む」とはよくいったものなのである。

「舌(口)は老いて旨くなる」というのである。
経験を積んで初めて旨いものが分かるようになるというのである。
長生きする楽しみが湧いてくるではないか。生き続ける励みになるのである。
肉体は崩壊(老化)に向かっているのに、本当に旨いものはそれによって分かるというのだ。

何年かに一、二本、本当にうまいお酒に逢う。ここは「会う」でなく、「逢う」である。
大してうまくないお酒を沢山呑み続けた成果〈ごほうび〉なのだろう。
何年かに一つか二つ、本当にうまい絵に逢う。お酒同様、数少ない至福の瞬間である。
岡野岬石〈おかの・こうせき〉画伯の「富士山」(2×2メートル)の絵がそれだった。

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お酒を呑む時に、うまいかそうでないかを確かめているようではそのお酒は本当はそれほど
いいお酒ではないのである。
本当にいいお酒はうまいという事は当たり前だから、その次元を越えてお酒から感じられる
ありがたさがうまいのである。そういうお酒とめぐり逢えた幸運に酔うのである。

それを別の言葉で言えば、「こんなうまいお酒が呑めるなんて、生きててよかった」であり、
「ああ、日本人に生まれてきてよかった」という心の底から湧いてくる感謝の気持である。
一応は富士山が描〈か〉かれている縦横2メートルという大きな正方形の絵の前に立った時に、
庵主はほっとしたのである。うまいお酒を口にしたときにほっとするのと同じように。

ああ、これなら何にも考えずにその世界にひたれるという安堵感のことである。
うまいまずいを考えながらお酒を呑むなどということは野暮な事なのである。
女の顔の美醜を論じるようなものだ。呑み手にそんな野暮を求めるお酒は不粋な酒なのだ。
いいお酒は、呑み手に気を煩わせないのである。すーっと入るのである。気持ちよく入る。

その絵の前に立つと、庵主の心が、すーっとその絵の気配と一緒になってしまったのである。
これは気持ちがいい。うまいお酒の気と一体化したときの気分と同じ快悦につつまれた。
お酒も、絵も、本当にいいものはこれなのだと実感したのである。納得したのである。
相手が持っている清々しい気と一つになったときの気持の良さを。美との共鳴である。

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運のいい人は、これを読んで、すぐ行動するのである。その絵を観たい、と。
庵主はうまいお酒があると聞くと早速行動するのである。そのお酒が呑みたいと念じるのだ。
「克正」がうまいと聞いて記憶に留めておいたら、たまたま入った居酒屋にそれがあるである。
求めて会うのではない。お酒が向こうの方から庵主に逢いにきてくれるのだ。

うまい絵も同じである。観たいと念じればいいのである。お酒と違って絵はなくならない。、
いや、心が動いたら、その絵を観るのは早い方がいいか。今なら只で観る事ができるのだから。
話を聞いても、心に感じるものがない人は、そんなものかなと思って終わるのだろう。
庵主が、ゴルフは面白いぞ言うのかを聞いても、そんなものか、と聞き流すようにである。

そのような自分の心が動かされない世界の事を縁がないというのである。
縁には悪縁もあるから、自らの直感でそういう悪い縁を断つのも英断である。
お酒はうまいとはいっても、そんなものを呑んでアル高になる人だっているのだ。
そういう人にとっては、お酒は身を滅ぼす悪縁なのである。

しかし、縁によって道が開けることもある。
今までまずいと思っていたお酒なのに、一杯の吟醸酒を呑んでその人の運が開ける事がある。
お酒を呑み慣れていない人や、鈍感な人には吟醸酒も同じ様なお酒にしか思えないだろうが。
岡野岬石展。6月25日まで。銀座の藤屋画廊。そこで本当にうまい絵を観ることができる。

Commented by 岡野岬石 at 2016-07-20 10:06 x
ご紹介ありがとうございます。
by munojiya | 2016-06-19 00:04 | Trackback | Comments(1)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya