2016-06-30 日本人のユーモア「仏の顔も三度まで」
日本人なら誰でも分かる言葉である。
自分は、三度までなら、仏さんになれるというのである。日本人のユーモアである。
その発想が凄いのは、自分を仏様にしてしまうということである。
そういうのを自画自賛と言って生温かく見守ってやるのが日本人の優しい所である。
「自我自賛」と書いた方がいいのか。
自分の中に、まだ誉める所があるのはマシなのである。
チョウセン人はそれがないのだという。南鮮人の自画像はこんな感じなのだという。
傍で見ていると不安定な人達なのである。
正しく言えば、他罰的な、言い換えれば攻撃的だから、怖いのである。
迷惑である、と言い換えておこう。
南鮮が、『韓日通貨スワップ』(典拠:中央日報)に色目を示してきたたという。
仏の顔も三度までというが、お金の無心では、南鮮は、日本人の顔を三度ならず、その何十倍
も、いや何百倍も、踏みにじってきたのである。もうその嘘芸を真に受ける日本人はいない。
南鮮が日本にたかってきた、そして借金を踏み倒して来たリストは壮観である。
そのリストを見せられたら、折角呑んでいたうまいお酒も、怒りで味がしなくなるのである。
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仏の顔も三度まで、である。
それを超えるようなできそこないはもう「ほっとけ」というのが日本人の駄洒落である。
そもそも『韓日通貨スワップ』を結んでも、日本にはそんなものを利用する必要が全くない
のである。それどころか下手すると日本の持ち出しである。ドブにお金を捨てることになる。
朝鮮に対する持ち出しは、日韓併合の時だけで十分なのである。こと南鮮に関しては、お金を
出せば出すほど恨まれるのだからたまらない。それが日本人の正しい歴史認識である。
福沢諭吉先生に始まる「脱亜論」は、朝鮮に対しては、今「教えない、助けない、関わらない」
という非韓三原則となって、やっと日本人の間に定着したのである。今は除鮮の時なのである。
『韓国銀行の出番? ないない。そもそも、日韓通貨スワップ協定があったときから韓国から
出せるのはウォンであって、「こんなもんケツをふく紙にもならねえのによぉ!」ってヤツ
です。もし、日本が通貨スワップ協定を必要とするような事態になったら、その時点で韓国
銀行なんて木っ端みじんに砕け散ってますわ。
大瀑布をテンガロンハットで汲み上げようとするようなものです。
韓国人もなにを勘違いしているのか、「日本が必要とするのであれば、協定を結んでやらない
こともない」なんていうコメントをこういう記事[「中央日報」の記事]に残していることが
多々あるのですが。この6つの銀行の前じゃ、韓国銀行なんて塵芥も同然ですわ。』(典拠)。
