2016-10-04 手品の映画
そういう客が一番お金を搾り取りやすいからである。
「君の名は。」?。そう、客という名の「お金」。
金払いのよくない客向けに映画を作っても儲からないからである。
次は、アクション映画か。それは映画の基本である。根本である。
絵が動けば興行になるということである。
それをやっている人には申し訳ないが、というより、やっている人も判っているように、
「CG」は手抜きの技術である。CGマニア以外は、それを見てシラケルのである。
「昔の映画はよかったなぁ」と。映画の未来を心配することは無いのである。
今の若い人にとっては、現在の映画状況が、将来懐かしむことになる「昔」なのだから。
「昔」の映画はいつもいい映画なのである。
お酒は、はっきりいって、昔のお酒を、庵主は呑みたいとは思わないのである。委細は省略。
売れない映画を作る人はいないから、農業映画とか手品映画は滅多に観ることができない。
しかし、ここに手品映画の新作が登場した。「グランド・イリュージョン見破られたトリック」。
全篇を観るまでもない。そのさわりがここで見られるから。庵主にはそれで十分である。
第1作の方が面白かったというので、そちらを只見させてもらった。
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映画やTVで観る手品はつまらないのである。
というより、何かが物足りないのである。
まず、その映像に対する信頼性が担保されていないということである。
映像を切り取りして編集すれば、あらゆる手品の不思議は簡単に作れてしまうからである。
その映像は、実写なのか、編集なのかと疑心暗鬼で手品を見ていても面白くないからである。
不思議にひたるための集中力を、疑心暗鬼のために使っていたら楽しめるわけがない。
ビールと手品は生に限るのである。
目の前で起こっている不思議現象を堪能するのが面白いのである。
自分は少しは人より利口だと思っているのに、なぜそんなことが起こるのかが判らないという
自己喪失の感覚を味わえることが手品の面白さである。
知性という虚栄心を簡単にうちくだいてしまう手品の前にひれ伏せる快感である。
もう、すべてを手品師にまかせてしまう無責任状態の気の軽さと爽快感が味わえる。
BMがいくら只で映像を見ることができても、お金を出してライブを観に行きたいはその
臨場感が楽しいからなのである。手品の臨場感も自分の目で見るところにあるのだ。
現代奇術の核心は「ミスディレクション」だという。本当の事が起こっていない所に注意を
引きつける技術なのだという。視野を狭窄させる点では映画自体が嘘〈それ〉なのである。