「永い」と「長い」の違いである。
「永い」は連綿と続くこと。だらだら続く、といってもいいのか。とぎれなく続くこと。
「長い」は二点間の時間が長いこと、と書いたら「長い」を説明するのに「長い」という言葉を
使ったのでは説明にならないことに気づいて、時間の隔たりがあること、としておく。
西川美和監督の新作映画「永い言い訳」である。
映画のタイトルの遊びが洒落ている。庵主はこういうのが好きなのである。
一番嫌いなのは、全面の黒地に白文字で映画の題名が出てくるもの。「猿の惑星」とか。
この映画では「本木 弘」と出てきて、ややあって「雅」の字が浮かび「本木雅弘」になるのだ。
映画の題名も、最初、縦に「いい」とだけ出てくる。そして、
「永い
言い訳」となる。「いい」映画なのである。
『
心を抉るような鋭さと、深く抱きしめる優しさと』(
典拠)。このタイトルも「いい」。
感情喪失に悩む作家の話である。なんとか感情を取り戻そうとする映画である。
「人間」と書くから、「人」(個人)が人間だと思ってしまうが、実は人と人の「間(縁)」が、
人間の本質なのである。存在価値は間の方にあるのだ。個人の懊悩は本質ではないのである。
なお、感情が薄くなってきたときには、うまいお酒を呑めばそれを補充する事ができるのである。
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あーあ、今回も、庵主はやっぱり映画のストーリーが理解できなかったのである。
『言い訳がましい手助けが板についてきて、幸夫もこれで救われるのか…と見せて今度は亡き妻
からの辛辣な伝言。
あーやっぱりね、冒頭で出掛けに戻った妻の視線が夫の浮気を見抜いていたことを証明している。
妻はバス事故に遭うまでずーっと外の景色を見ているのだが、あの時どんな気持ちだったんだろ
庵主はそのおいしい場面をぼんやり眺めていたのである。伝言の部分は目が追いつけなかったの
だが。その伝言の意味を理解する前に画面が前に進んでしまったのである。溜めが足りないぞ。
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『最初の夫婦のやり取りから心を掴んではなさい! その中でも私的には少ししか出番がない
のに深津絵里の演技が最後まで頭から離れない! 何だろう……? たとえようのない感覚……
UFO? いや、おふざけではない! 今年見た映画の中では断トツに面白かった……気が付いたら泣いてた。更年期障害か?
ホラー映画やアクション映画ではないが気が抜けない場面がたびたび巧妙に襲ってくる。そして
どんどん、画面上から胸の中を土足で暴れ回る! 一つ残念なことがあるとすれば、これだけ
レビューもよくいい作品なのになぜランキングが低いのか! [中略]
とても良い映画でした!』(典拠)。
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『ザラッとした画のトップカットから始まり、ラストはたっぷりと時間をかけて作り上げたこの
映画の贅沢さを堪能した。本当に素晴らしい映画。もっとたくさんの人に観てほしい。』
『うーん
なんか…ちょっと今までに無い空気感の映画だった。
愛すべき人物が出てこなかったな…
映画はしょせん他人事〈ひとごと〉だからそれでいいのである。
『だけど、隣にいて当たり前の人なんてほんとはいない。
その人は明日前触れもなく消えてしまうかもしれない。
誰かが隣にいてくれる事が、どれほど恵まれている事か。
そんなことを思わせてくれる映画。』(典拠)。煩わしい筈の人がいとおしくなる映画だと。