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2017-01-03 BM伝「世間におけるメタルの地位」

精神を病んでいる人の治療法に森田療法というのがある。
そういう患者に箱庭をつくりをやらせると症状がやわらぐというのである。
完治ではなく、対症療法みたいである。
盆栽作りはその究極なのかもしれない。精神が病んでいないとその良さが分からないのだろう。

音楽療法も、精神的に問題がある人に対する対症療法なのだろう。
症状を緩和させる効果はあるみたいである。
少なくても、それになじんでいる人たちが、その手の人たちだということが分かるから重宝だ。
世間には、日本人なのかチョウセン人なのか判らなくて困るような事が少なくないからである。

チョット病んだ人の精神療法みたいな世間的評価を受けていた、
実は単なる音楽的な手法にすぎないメタルに、
アスリートの爽やかさを持ち込んだから混乱しているだけ。』(典拠2:01)。
BMは、病人の世界に健康を持ち込んだものだから、患者が違和感を感じているというのだ。

健全な患者はBMの健康感に目覚めるが、そうでない患者はなお病気にしがみつくというのだ。
前者を病気からの脱出といい、後者をガチの完治不能〈メタラー〉と呼ぶようである。
実は、お酒も、本物の旨いお酒は精神療法に使えるのである。
その旨さにひたっていると、沈んだ心や、自信を失った時に、元気が蘇ってくるからである。

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純米酒原理主義という言葉がある。
その伝でいうなら、自分で作った曲を演奏していないプレーヤーは本物とはいえないという主張
は自作原理主義と呼べばいいのか。
そういう頑固な自己主張に対するつれない一言がこれである。

『それは「自分で書いて歌っているかどうか」が好きなだけであって
音楽自体を好きなのかどうか疑問だね』(典拠3:22)。
自作原理主義が正しいとするなら、今日の世界の名だたるオーケストラは、みんな贋物だという
事になる。バッハとかベートベンなどの他人〈ひと〉が作った曲を演奏しているだけなのだから。

『[自作の詞曲にこだわる]こういう人達にこそ、ライブ見て言葉の子べを超えて伝わる
ベビメタの魅力に触れてほしいです!』(同前6:55)。
お酒で言えば、純米酒であろうと、アル添酒であろうと、呑んで旨くなかったら、造りの違い
なんか全然意味がないということである。

お酒は呑んでみろ、ベビメタはライブで聴いてみろ、というわけである。
世間では曲も書かずに楽器も演奏しない3人の女の子たちをガールスバンドとさえ言わない
だろうから、こうした反応は完全に想定内。』(同6:58)。
想定内の反応をしている人達は、踊らされているというわけである。踊らにゃ損々である。

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話変わるけど、ゆいもあのダンスを見て、俺は初めてダンスの「意味」というものを理解する
ことができた。歌詞や曲調の意味をダンスを通じても表現しているということ。
彼女たちのダンスを知る以前のダンスは、俺にとっては単なる振り付けでしかなかった。
意味を問うとかそういう必要性を感じることはなかった。

彼女たちのダンスは、ギタリストがギターを弾いて自分を表現するのと同じことなんだよな。
典拠8:37)。
耳でしか見えなかった音楽を、目でも見えるようにしたことがBMの画期的な点だというのだ。
これまでは、目に入ってくるのは世間離れしたむさ苦しい姿〈ざま〉のプレーヤーだったのに。

by munojiya | 2017-01-03 00:03 | 余外篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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