歌がうまいと言われている福原美穂さんのことである。
庵主は、どんな歌を唄っている人なのか知らなかったのである。
試しに聴いてみた。
『この子の歌唱力は本物
『売れるのと認められるのが同じとでも思ってるのかよ』(同米)。
世の中は二律背反で成り立っているのである。売れている物が必ずしもいい物とは限らない。
それだからこそ人は救われるのである。
頭のいい人が全てだったら、庵主などは立つ瀬がないのである。
しかし、「欠点こそ人間の魅力だ」と思っている庵主はそれで生きていられるのである。
もっとも、正しくは庵主の思いとは関係なく「生かされている」のであるが。
お酒もいい米で造ったものだけが旨いのだったら世話ないのである。そうでないから面白い。
『[福原美穂は]ここまでの歌唱力持ってても提供される曲がこんなだとゆー悲しい現実
宝の持ち腐れ』(同米)。『いい歌でしょ。てか作詞作曲本人だし。』(同米)。
『こんだけ歌唱力あるのに日本ではだめなんだなあ』(同米)。上手いだけでは旨くないのだ。
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『歌が上手い方が海外でデビューしないといけない日本はおかしい。
だから早くアイドルとアーティストで
面白〈ばかばかし〉いのがアイドル、肩が凝るのがアーティストという分類でいいのかなぁ。
この人の場合も歌唱力があると讃えられながらも、日本では売れなかったのである。
ね、この歌、上手いでしょう。オリジナルを知っていると一層この歌の上手さが判るのである。 心にしみいるのである。歌を聴く喜びにひたれるのである。素直に聞きいることができるのだ。
でも、売れなかったのである。すでに故人である。その人が唄うこれも聴いてみたくなる。
『3大ディーバ
朱里エイコ、しばたはつみ、前野曜子
庵主はその「ディーバ」という言葉を今初めて聞いたのである。故にその意味を知らない。
『三人とも亡くなって何年も経ってから、ようやく正当な評価を与えられたような気がして
なりません。死去ではなく引退状態ですが、ちあきなおみもそうですし。』(同前米)。
旨いお酒同様、判る人だけが分かっていればいいのかもしれない。
分かっている人がいればそれは連綿と続くのだから。ちなみにその朱里エイコよりも“旨い”人。
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朱里エイコが唄っている「あの鐘を鳴らすのはあなた」の話である。
『オリジナルもすばらしいが、朱理さんの声は持ち歌として聞こえます。さらりとしながら
ズシーンと重みもあります。何回聞いても聞き飽きることがない曲です。』(典拠米)。 「朱理」はもちろん「朱里」の誤植である。
『映像無しの「歌」だけで感動した。この歌が録音されてから、ネットが普及するまで、
ほとんど誰も知らずに埋もれてた。もっと多くの人がこの歌を聞いて欲しい。』(同前米)。
『まったく 聞き飽きないなあ』(同前米)。
呑み飽きしないお酒同様、それは最高の褒め言葉だろう。なるほどのもう一曲。