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2017-07-17 南鮮の常識は日本の非常識

所変われば品変わる、というのか、一つの文化は必ずしも普遍性があるとは限らない、というか、
正義とは所詮その人にとって都合のいい解釈の事だ(これは庵主の持論)、と言えばいいのか、
自分にとって当たり前の事が、他人にとっても当たり前だとは限らないという事である。
日本と南鮮は隣同士の国であるが、その性格は正反対なのである。

明治の元勲は、それを知らずに、もしくは知っていながら抗えない事情があってか、韓国を併合
してしまったのである。
それが間違いの元だったのである。
水と油が混ざるわけがないのに、かき混ぜて一つにしようとしてしまったのである。

しかし、併合終了後は、やっぱりまた元の水と油にちゃんと別れてしまったのである。
そして融和することはないのである。永遠に、である。関わらない事なのである。
南鮮では、食器を手にして食べるのは下品とされるが、日本では逆に、器を置いたままま
食べる様を犬食いといって蔑むのである。いや、それは案外逆かもしれない。欄外で論考。

南鮮では、食堂でラーメンを頼むと、インスタントラーメンがそのまま出てくるというのだ。
南鮮人は、それにキムチがついてくるのにも日本人は驚くに違いないというのである。加えて、
「キムチのお代わり自由にさらに驚くのでは」』(同)。たしかに、そのキムチが、先客が
残したキムチの使い回しだという事を知っているだけに、それにまたまた驚くのである。

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日本人は、本当は犬食いそのものを蔑んでいるのではなく、犬食いをしているチョウセン人を
蔑んでいるのではないか、ということである。
要するに、日本人から見たら不潔極まりないチョウセン人を忌避しているのである。
日韓併合で日本が最初にやったことは、路上で糞便をするなという禁令を出すことだった。

道路という道路が、それがソウルであっても、犬の糞ならぬ人糞が散らばっていたからである。
しかし、そういわれてもチョウセン人は困るのである。家の中に便所がないのだから、外でする
しかないのだから。そのことが反日の起源なのだという説もあるのである。いや、なかったか。
嘘が善のチョウセンの文化と、嘘は悪の日本の文化が融合できるわけがないのである。

by munojiya | 2017-07-17 00:03 | 世話物 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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