唖然としてしまったのである。
『
「僕たちがやりました」不道徳過ぎて視聴者あ然』(
典拠)である。
庵主はテレビがないので、その視聴者にはなれないから、唖然としたのはその不道徳すぎると
いう番組の内容でなはく、その見出しの「あ然」という表記に対してである。
今でも、「あ然」といった、漢字と平仮名の交ぜ書き表記が行われているのである。
みっともないったらありゃしない、のである。
それ以前に「あ然」と書かれたら、絶対「唖」の字が思い浮かばないのである。
「建ぺい率」と書かれたら「ぺい」の字が思い浮かばないように、である。
「無塩せき」のハムというのがあるが、その「せき」の字は、庵主には見当もつかないのである。
「石鹸」も、「石けん」と書くのだろうか。
新聞帝国主義(ルビを付ければここは「マスゴミ」だろう)の日本語破壊表記のことである。
それでいて、「ら致」は「拉致」と書くのだから一貫性がないのである。
日本人は、南鮮人が漢字を廃止してハングルだけの表記にしたことを嗤うのである。
しかし、「ら致」だの「あ然」だのと書いていたのでは南鮮を嗤えないのである。
お酒にも「無ろ過」という表記がよく見られる。子供が呑むものじゃないのだから、「無濾過」
とちゃんと漢字で書け、と言うのである。