血液型性格判断というのがある。
人の性格を血液型で判断するというものである。
それがよく当たっているように見えるのである。
科学的にはそんなものは何の根拠もないという人もいる。
そもそもそんなものが流行っているのは、世界中で日本だけだというのである。
もしそれが普遍性のあるものなら、世界中で流行している筈なのに、である。
しかし、信じてそれを聞くと、当たっているいるように思えるから困るのである。
それに似たようなもので「朝鮮耳」というのがある。
チョウセン人特有の、というよりチョウセン人に多く見られると言うべきか、耳の形を見れば
チョウセン人は容易に見分けられるというものである。
耳の形を見るだけだから、だれでも簡単にできる観相術である。
それで、チョウセン人といわれている芸能人の耳を見ると、確かに朝鮮耳をしているのである。
俄かに信憑性が増してくるのである。しかし、正真正銘のソレが朝鮮耳でなかったりするのだ。
そこで、チョウセン人がみんな朝鮮耳ではないが、朝鮮耳ならチョウセン人だというのである。
純米酒だからといってそのどれもが旨いとは限らないように、当てにならない観相術なのである。
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ある年のオリンピックの日本代表選手の顔ぶれをちりばめたれ絵柄のポスターが地下道の壁に
貼ってあるのを見たことがある。
柔道とか、レスリングとかの選手だというから、夏の五輪のものだったか。
その顔ぶれを見たときに、この中に日本人は何人いるのかという疑問をいだいたものである。。
それらの顔が、庵主にはみんなチョウセン人みたいな印象を受けたからである。
きっと、みんな日本人だったのだろうが、日本人の顔にはバリエーションがあるということだ。
平昌〈ひらまさ〉の冬季五輪が終わった。期間中は日本中を沸かせた、藤原五月とか、高木那奈
とか、小平奈緒美といった名前も、すぐに忘れられてしまうのだろう。また四年後、である。
庵主の記憶もすでに朧で、藤澤五月、高木菜那、小平奈緒だった。
庵主は血液型性格占いみたいに、最近は朝鮮耳占いに凝っているのである。
だから、今度の冬季五輪の日本代表選手の顔写真を見ると、ついその耳に目がいってしまう。
例えば、このスケートの選手は写真で見ると朝鮮耳に見えるのである。
朴正煕〈ぼく・せいき〉大統領は、その昔、日本の陸軍の軍人だった。満州国で、だったか。
その時の日本人名が高木正雄」だったのである。つい類似性を感じてしまうのである。
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見掛けはよく似ているが、中身が異なるものとしては、純米酒とアル添酒がその代表だろう。
バターとマーガリンの区別が付かない人はいないだかろが、お酒の区別は難しいのである。
庵主などは、いまでも純米酒とアル添酒の違いが判らないのだ。口の含んでも判断できない。
ならば、同じものと見做していいのではないか、と言えないこともないのである。
シルクとポリエステルも見た目は殆ど変わらないのである。
しかし、庵主はシルクに軍配を上げるのである。
ポリエステルは、実用上はシルクより使い勝手がいいのだが、着ていてもどうにもいいものを
着ているという満足感が癒されないのである。もちろん気のせいである。
同様に、アル添酒もその満足感が、というより充実感が満たされないものがあるのである。
勿論気のせいであるが、なんとなくいかがわしいものを口にしているという差別感が抜けない。
日本人がチョウセン人を嫌うのも根はそれなのだろう。差別感、いや美意識が合わないのだ。
だから、なんとかして日本人との違いを探るのだか、両者は見た目はよく似ているのである。
しかし、中身が違うのである。日本人にとってはチョウセン人は反面教師なのである。
内面の違いだから、それが発露する通名に注目するのである。「星」とか「聖」といった、 チョウセン人がよく好む漢字があるという。左右対称の漢字(例えば「高木」)もそうだという。
でも、それだと「日本人」はみんなチョウセン人になってしまうので、役に立たないのである。
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朴正煕(故人なので敬称略)をチョウセン人ではないという人はいないだろう。
ならば、その耳は朝鮮耳なのか、ということである。
たしかに耳たぶがない形をしているから、そういわれてみれば朝鮮耳のようにも見えるのである。
その娘さんね、この写真で見るとちゃんと朝鮮耳である。 今言われているのは、「朝鮮耳をしていたらチョウセン人ではあるが朝鮮耳でなチョウセン人
もいる」ということである。自称も、見た目もチョウセン人のこの人が朝鮮耳でない例である。 いかにもチョウセン人顔のこの人の耳はどうだろうか。経団連の会長の顔である。
耳たぶがないストレートラインの耳で、頭の側にぴったりくっついている形の耳のことである。
顔は「美〈うつく〉しい」だが、耳は「美〈おぞま〉しい」と読むべきかもしれない。
左手の手相は天がら授かった、右手の手相は自らが切り開いた手相だというから、左耳の血で
うまれた、右耳に育んだ人だとみるべきか。観相能力のない庵主には判じ得ないのである。
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グーグルは賢いといっていいものか、余計なおせっかいをするなというべきなのか。
情報は評価した時点で価値が生じるので、それ自体には善も悪もないということなのか。
差別というのは個人の感情だから、情報自体には責任はないというわけか。
『朴ユキナみたく裏で反日してる奴がいちばん許せない!
チョリースは日本人をバカにする表現だからな!』(典拠米)。 その「朴ユキナ」がだれなのか分からなかったのでグーグルで検索してみたのである。
出てきた人の名前が『木下優樹菜』(典拠)である。なるほど。