「じゃぱゆきさん」という言葉がある。
日本に出稼ぎに来ている、外国の貧困な売春婦のことである。
ときにそれはその国の外貨稼ぎになっている場合がある。
南鮮から、日本には「5万人」の、いうなれば「じゃぱゆきさん」が来ているという。
「5万人」という数字を口にしたのは、南鮮の国会議員だから、嘘を好む民族性からして
その数にどこまで信憑性があるかは大いに疑問ではあるが、当の国の国会議員が言っている数字
をここでは引用したのである。
外国に出稼ぎにいかなければならない国は寂しいのである。
アメリカに、野球で出稼ぎに行っている大谷翔平選手は、大リーガーの選手なのに、また、仕事
が専業化していて、そういうのは分断化と呼んだ方がいいのかもしれないが、他人の仕事には
踏み入ってはならないアメリカで、グランドのゴミを拾うというのである。ゴミを拾う係の仕事
に踏み込んでしまっているのである。それはお前の仕事じゃないだろうというのである。
大谷選手は『
それを「人が捨てた“運”を拾っている」と表現』(
典拠1:48)していると
いう。物は言い様、いや、心の持ち様である。会社勤めで嫌な事があっても、「これは修行なの
だ」と思えばストレスから解消されるという智恵を聞いたことがある。嫌な上司も修行なのだと。
まずいお酒が出てきたときも、「修行」だと思って呑めば、否、やっぱりうまくないのである。