見出しだけが踊っているのである。
『
安倍首相と法相がオウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出』(
典拠)という見出しである。
だれも批判なんかしていないのに、それが「噴出」しているというのである。
見出しが踊っているというより、「嘘見出し」といった方がいいのかもしれない。
「見せパン」というのがある。
それが見せパンだとわかっていてもつい目が行ってしまうのは男のサガである。
要するに、番組の作り手に、男ってそういうものだろうと舐められているということである。
男はそれを知ってて楽しんでいるだから、それは他愛ないのである。
上の見出しは、「見せパン」に準〈なぞら〉えていうならば「釣り見出し」である。
読者は舐められているということである。舐めているのは「日刊ゲンダイ」だった。
うまいお酒を呑んでいる人達を見て嫉妬する人がいるということが判るのである。
どの夜も、翌日に死ぬ人の前夜だから、それを言ったら乾杯ができなくなるではないか。
記事を読んだら、麻原以下7人の死刑囚に乾杯したのではなく、その前夜に行なわれた自民党の
懇親会で日本の平和と繁栄を祈って乾杯したというのである。その時の記念写真があって、右手
にあるビールは「スーバードライ」だと判るが、左手にあるお酒の銘柄が読み取れないのが残念。
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オウム真理教の死刑囚の死刑執行は「おめでたい」にしても、自民党がしくじったのは西日本を
豪雨が襲っている前夜だったということである。こうなるとは思いもよらなかったのである。 東京人は関西方面の人のことなど人間だと思っていない感覚〈ふし〉がある。
異邦人もしくはエイリアンなのである。箱根の山を越えたら外地だという感覚があるのである。
だから、安倍総理もそこから先のことは異国の出来事のようにすっかり失念していたのだろう。
総理は、選挙区は山口においてあるが、たしか東京生まれの東京育ちではなかったか。
そして、その夜はしこたま呑んだのだろう。
翌日は二日酔いで、緊急対策本部を設置する時も15分と会議に耐えられなかったという。
水が出たり、土砂崩れが起こるような所に住んでいるために被害にあった人は馬鹿だ、もしくは
自業自得だ、要するに思慮〈ちえ〉が足りないのだという見方もあるのである。
それは現に被害に遭われた気の毒な人がいる時には言っちゃいけないことではあるが、一理ある。
『いつも思うんだけど、田舎の人たちはなんでそこまでして戸建て住宅に住みたいのかねえ。
一雨来ればすぐに土砂崩れで家も家族も泥に埋まるような山間の場所を切り開いて、あるいは
堤防が決壊して屋根まで水に浸かるような元々田圃か遊水池にしか使えない場所を埋め立てて、
小さくて柔な住宅を建てようとする。その気持ちオレにはさっぱりわからねえ。』(典拠米)。 できれぱ、集合住宅には住みたくないからだろう。どのように死ぬかは選択の自由だからである。