2018-08-09 馬鹿ではないだろうが頭が悪〈かた〉い広島市長
8月6日は何の日か。
それが分からない日本人がいたら、かなり劣っている日本人だと言っていいだろう。
親の躾けがよくなかったからか、当人の成長が遅れているという事である。
南鮮人なら「3.1」は何の日かと訊かれて答えられなかったら非国民とされるのじゃないのか。

「8.6」を知らなくても非国民と言われる事はないが、それが日本人なら、かなり杜撰な
日本人だということはたしかである。
8月6日は「アメリカが広島に原爆を落とした日」である。
アメリカが一線を越してしまった日である。原罪を背負ってしまった日と言った方がいいか。

その原爆の「洗礼」を受けた広島の市長は、日本政府に「核廃絶条約の締結」を迫っている。
政府は、勿論そんな馬鹿〈けいそつ〉なことはできないという態度である。
ゴミちゃんは、そういう政府の態度を糾弾している。日本が率先して核廃絶を主張せよ、と。

核兵器〈ドス〉を持っているのは米ソ英仏品印等々の日本人ではない国々なのである。
日本はそのドスを突きつけられている方なのである。持ってないものは捨てられないのだ。
アメリカが銃社会をやめられないのは、悪人が銃をもっているからなのである。ドスもそうだ。
広島市長はまずアメリカ人に銃を捨てろと言ってごらん。気違いだと思われるだろうから。

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短歌というものがどれほど自由なものであるかということは、いまさら俵万智によって示され
たことではない。』(典拠)。短歌と書いて「じゆう」と読むのか。自由と書いても同じだが。
「海南島」と書いて「ぼったくり」と読み、「北海道」と書いて「うまい」と読むように、その
伝で「万葉集」と書いても「じゆう」と読めるのである。短歌とはそれいうものだったのか。

子供に、突然話がそれるが、詐翼の人達は「子供」と書くのは子供差別だと主張して「子ども」
と書けと人に強要しているようである。詐翼の人達は本を買って読むインテリが多いので、版元
もそういう読者に媚びるために、すなわち本を売るために「子ども」と表記する版元が少なく
ないようである。「子ども」と書いても「ども」と呼んで馬鹿にしている事には違いがないのに。

その子供らに、自由に絵を描いてごらん、とか、自由に作文を書きなさいと言っても、何を
書いていいのか分からないのだという。
子供には自由がないからである。自由という自ら由ってくる心の余裕がないからである。
好きなことをしていいよ、と言っても、自分が何を好きなのか判らないのが子供なのだ。

だから、子供たちには、まだ見たことも聞いたこともない知らない世界がいっぱいあるよという
事を教えてやるのが教育なのである。
教えて貰わないと、世の中にアルコールに弱い庵主でさえ呑める旨いお酒が本当にあるのだ、と
いうことは判らないのである。運が悪いとそれを知らずに死んでいくところだったのである。

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8月11日の追記
広島市長を若い人が諭しているのである。
ここまで懇切丁寧に説明してもらったら、
市長は自分の頭が悪〈かた〉いという事が自覚できる筈である。

犯罪が起こったときに、被害者に被害に遭うような生き方を直せというのは逆だろう。
加害者を諫めないと犯罪はなくならないのである。
頭がいい筈の詐翼の皆さんは、わざと言っているか、本気で言っているのか、そういう事を声高
に口にするから、頭が悪〈わる〉いと見做されているのである。いや、人柄が悪いのか。

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by munojiya | 2018-08-09 00:04 | 世話物 | Trackback | Comments(0)
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