2018-08-10 【旧稿】新聞を読んで「広告しか読む所なし」
雑誌の記事のスタイルは菊池寛がその全てを確立させてしまったといわれている。
雑誌「文藝春秋」が、雑誌を読ませるテクニックを全部作り上げてしまったという事である。
手記というスタイルがある。座談会というスタイルがある。レポートというスタイルもある。
小説もそうだろう。そういった記事のスタイルはすでに開発し尽くされているという事である。

毛筆で「一」と書く。
しかし、一筆〈ひとふで〉で書いてものが、どうも形がよくないというので、字を整えようと
最初の筆跡に筆を加えると、却って最初の字の勢いがそがれて悪くなってしまうものである。
雑誌の記事も確立されたスタイルをいじると却ってつまらなくということである。

新しいスタイルを創ったと思ってもすでに前例があるということである。
若い人は甲斐ない時代に生まれてきたという事である。
昔の事は知らない方が幸せみたいである。そうでないと創造する楽しみがないからである。
人は今にしか生きられないのだから過去を知ってもしょうがないからである。歴史にIFなし。

お酒は過去を求めても、旨いお酒はすでに呑まれてしまって存在していないのである。
「新聞を読んで」というスタイルも昔(庵主生誕以来という事)からあるスタイルである。
今(2017年12月時点)、庵主の庵〈いおり〉にはいっているのは「聖教新聞」だから
庵主には読む所はないが、一面下の書籍の広告からは今どきの流行りが読み取れるのである。

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その書籍もまた、ネタはすでに出尽くしているのである。
今どきの本屋を除いてみても、庵主が数十年前に書店めぐりをやっていたときと同じネタの本が
並んでいるから既視感を覚えるのである。タイムマシンで過去に飛んだような気がするのだ。
変わっていないな、と思ってそれらの本を一瞥して苦笑して書店を出るのである。

思えば、それらの本を作る人達も、すでに多くは庵主より年下の人達がやっているのである。
庵主は、後生から真実を教えてもらっても有り難みがない齢になってしまったのである。
下世話な譬え方をするなれば、若い女の子を抱いてもちっとも面白くないという事である。
お酒で言えば、いまや磨いただけの大吟醸酒を呑んでも感動しなくなったようなものである。

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2017年12月27日付「聖教新聞」の一面下の3段8割書籍広告に名を連ねている版元は、
右から順に「東京書籍」、「鳳書院」、「ベースボール・マガジン社」、「財界さっぽろ」、
「聖教新聞社」、「公明出版サービス」、「クリエイト日報出版部」、「時事通信社」である。
BM社の「大相撲力士名鑑」に目が行く。平成三十年度版が1月中旬発売だという。

その隣にある「モダン・ゴルフ」が「モンゴル」に見えてしまい、モンゴル力士の批判本かと
思ったら、ゴルフ本だった。「けんいち」という雑誌も出している。「けんいち」って、なにか
と思ったら、それは通名で本名は「健康一番」なのだという。今回の特集は「誤嚥性肺炎予防法」
である。「飲み込む力は取り戻せる! 寿命も延びる!」とあるがお酒の本ではないようだ。

佐藤優の名前がある。「一発触発の世界」という本である。
左右両刀遣いの著者である。かつ聖俗併せ呑む書き手である。どこからでもお金を引っ張って
くる筆力のある人だから今度も創価学会のヨイショ本かと思ったが版元は時事通信社だった。
教団内の抗争を解説している本だったら庵主も買って読みたがったが。

財界さっぽろは『「北加伊道」六〇話』を1850円+税で売りますという。
「蝦夷」と呼ばれていた未開の大地が「北海道」と命名されて一五〇年。
北海道の開拓に挑んだ先人たちの足跡を六十話に分けて探る。』。朝鮮は行政区を「慶尚道」、
「全羅道」等と呼んでいるが、「北海道」も“外地”なのでそれだというのが庵主のギャグだ。

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by munojiya | 2018-08-10 00:02 | 時局物 | Trackback | Comments(0)
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