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2019-07-19 TVが発している真の声

テレビはなくてもいいという。
庵主も、ここ50年間、テレビを持っていないのだが、ぜんぜん不自由した事はない。
今は、放送当時は観ることができなかったTV番組もネットで観ることができるのである。
どうしても必要ならそれで観ればいいのだが、そうまでして観たい番組はなかったのである。

繁華街を歩いていると、街頭ビジョンと称する映像が流れている。
いやでも、見たくもない映像は勝手に向こうの方から入ってくるのである。
詐翼は「嫌煙権」があるという。そんな権利を誰が作ったものか庵主は知らないのである。
ならばそんな映像を見たくないという権利はなんと呼ぶのか。

さらには、詐翼なんかくたばってしまえと思ってそれを嫌悪する権利はなんと呼ぶのか。
「権利」というのは自分の「正義」をもっともらしくいう言葉なのだろう。
「正義」自体が、自分にとって都合がいいことだと思っている庵主にとっては「権利」もまた
独りよがりの正義感にしか見えないのである。詐翼の自画自賛、いや違う自業自得である。

いや、それも違うか。自己満足か。そんな個人的な好みを人に押しつけるなというものである。
ならぱお酒の好みはどうか。お酒の旨さはお酒を呑みなれた人のそれは収束するから害はない。
そもそも民放TVの正体は『どうせ放送の真の目的は(だからこれを買え)』(典拠8:55)
なのだという。『NHKの場合は(受信料払い続けろ)』(同)なのだという。

by munojiya | 2019-07-19 00:03 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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