お酒を呑むということ
それは形式である、すなわち見た目にすぎない。
庵主がお酒を呑むというのは
それを味わったあとの余韻を楽しむということをいうからである。
だから量を呑む必要がないのである。
のどごしを楽しむお酒ではなくて
その味わいにひたるお酒なのである。
もっとはっきりいえばお酒を呑んで妄想をふくらませることなのである。
お酒を呑んで心に浮かんだ空想を書いているのである。
そのときの気分を書きつらねているのである。
だから同じお酒なのに呑んだときによってその評価が変わるのはいたしかたがない。
そのことをさしてお酒は一期一会であるといっている。
世に同じお酒は二つとないということである。
だから庵主が呑んだお酒と同じうまさを味わうことはできないのである。
想像力が豊かな庵主はそれでもって人一倍うまいお酒を呑んでいるというわけである。
うまいお酒はこの「むの字屋」にあるという所以(ゆえん)である。