「日本の宝」とはなにか。
宇野正美
〈うの・まさみ〉先生が
教えてくれる。宇野節
〈うのぶし〉である。
「節〈ぶし〉」というのは、その人でしか味わえない面白さという事である。広沢虎三節とか。
宇野節の外に武田節(武田邦彦先生)、中杉節〈中杉弘先生)が面白い。船瀬節もだ。俊介先生。
お酒の評価には、いいお酒と安いお酒という見極め方がある。
いい原料を使って、しっかり造られたお酒はいいお酒である。
手抜きとは言わないが、安く安易に造られた実用性が優先のお酒が安い酒である。
ただし、いいお酒が必ずしもうまいお酒とは限らないということである。
逆に、安いお酒だからうまくないかというと、そんなことはないから嬉しいのである。
節〈ぶし〉もまたそんなことがないものなのである。お酒で言えば、存外うまいお酒なのである。
庵主は、高価なお酒やいい酒なのに、さしてうまくないお酒よりもこっちの方を好むのである。
格調は高いが、うまくもないお酒を呑んでも面白くないからである。権威よりも実用なのである。
宇野節はいい齢をした大人がハマってしまうのである。日本人の大人ならそれが判るからである。
世間の常識とは、即ち、建前の権威説とは異なる見方ではあるが、その説なら辻褄が合うという
納得感が得られるからである。今までモヤモヤしていたものが明快に見えてくる。それが宇野節
の魅力〈おいしさ〉である。お酒では「おいしい」は「楽しい」とも言い換える事ができるのだ。
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トランブの手品で使われる秘密の技法の一つに、「天海パーム」というのがある。
カードが目には見えているのに、見ている人にその認識を与えないという見事な技法である。
人は、現実を正しく認識できないという性向〈クセ〉を持っているということなのである。
目の前にあるものが意識の中で見えなくなる事があるのだ。認識に盲点があるという事である。
天海バームは、目に見えているカードが観客には認識されなくなるテクニックである。
多くの日本人は、目の前にうまいお酒があるのが見えているのにそれを認識できないのである。
そのおかげで、庵主は、うまいお酒をより取り見取りで呑めるからそれはありがたい事である。
日本人の目に、うまいお酒が見えていたら、庵主のところまで回ってこないだろうから。
というのも、「うまいお酒の出現率は美人の出現率より小さい」というのが経験則だからである。
審美眼、いや、審酒眼のある日本人が多かったら、絶対数が少ないうまいお酒はみんなそういう
人達に先に呑まれてしまうということなのである。庵主が呑む分がなくなってしまう。
「天界」というお酒があったが、最近その名を聞かない。「天界パーム」ならいいのだが。
「日本の宝」も、日本人には見えているのにその認識がないものだと宇野節は語るのである。
お祭りの御神輿は聖書に出てくる契約の箱なのだという。神社の社殿の配置は聖書に出てくる
神殿の配置と同じだという。神主の衣装もまた聖書にある神官の衣装と同じなのである。
という事は、そういう事だということである。日本人は知らずに宝を内に秘めているのである。
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神道は、核心とは別にその形式は、どうやら聖書に書かれているものが起源みたいなのである。
では、だれがそのスタイルを日本に伝えたのか。レビ人〈レビびと〉だという。
宗教儀式を伝えたのだから「礼美人」と漢字を当てればいいのか。
それが物部氏だというのである。そして、日本の国の始まりは淡路島だという。
淡路島と聞くと、庵主は条件反射で「都美人」が思い浮かぶのである。
久しく呑んでいないな、と。いや、味の記憶が蘇らないから、酒銘を知っているだけだったか。
そこから宇野節は絶好調なのである。淡路島に伝えられた本物の契約の箱は(どーやって持って
きたのだろうか)、淡路島から、徐福によって徳島の剣山〈つるぎさん〉に隠されたという。
剣山では、今でも五月十七日には御輿を山に担いで登る祭りが執り行なわれているのである。
奇しくも、聖書に書かれているその日に、である。
昔の賢者が、四国剣山の町おこしのために、伏線を張っておいたものかもしれないけれど。
伊勢神宮にはダビデの星を刻んだ石灯籠が並んでいるがそれは戦後寄贈されたものだという。
昔からあるものではなかったのである。日ユ同祖論者の金持ちが寄贈したものだろう。
昔からあると思われているものが実はつい最近に始まったものだったという事がよくある。
わが国の初代天皇である神武天皇の神社である橿原神宮も、つい最近建立された俄神社なのだ。
神前結婚というスタイルも、たしか東京大神宮が営業拡大のために始めた俄習慣なのである。
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宇野節によるとプーチン大統領はロシア正教の現人神なのだという。
露宇戦争の核心は宗教戦争なのだ。ヤクザの殺し合いより始末に悪い諍〈いさか〉いである。
そこに兵器産業が旧式武器の在庫一掃セールを絡めてきたのである。すぐに終われなくなった。
可哀相なのは、そんな戦争に巻き込まれしまった下っぱの聖義も知らない信者たちである。
21世紀になっても、いまでも宗教の聖義を掲げて人の殺し合いをやっている今の人類の文明は
そこまでだったという事である。
今度の戦争は、ロシアとヨーロッパのハック(白)同士の殺し合いだから勝手にやってろと
遠くから眺めているしかないのである。アジアにもチャイナ人という殺し好きもいるが。
日本は、憐れみを込めて防弾チョッキを送るだけである。
今、「チョッキ」は何と言うのだったか。「ジャンパー」は「ブルゾン」になったし、「ズポン」
は「バンツ」と呼ぶのだったか。チョッキは「防弾ベスト」か。
ウクライナは「ベストを尽くせ」という励ましを込めてで送ったわけではないだろうが。
今、ロシアの、プーチン大統領の義を語ると、袋叩きに遭うのである。西側の正義が強いから。
勝手に侵攻して、街(秩序)を破壊しウクラナイ人を殺しまくっているのだから、非は100%
ロシアのブーチンにあるからでもある。しかし、蛮行を、いくつもの国が寄ってたかっても制止
できないのだから、話し合い民主主義には限界があるという事が判ったのは奇貨とする処である。