まずい酒異聞
酒に悪意はないが言葉は恐いのである。
庵主が安酒に対してそれをまずい酒といったのがお店の大将の癇にさわったようである。
お酒をまずいというのはいけないよと返してきたのである。
もっともそういうやりとりができる会でのことである。
ふつうなら客の言葉には逆らわないというのがお店のたしなみである。
その大将はなんといったか。
そういうお酒でもうまいと思って呑んでいる人がいるのだからまずい酒というのはない。
加えて俺はいろいろ酒を呑んでいて酒の味はよくわかる男だと見栄を切ったのである。
酒に対する立場のちがいなのである。
大将は自分が選んで買ってきた酒を売れ残らないように勧める呑ませ手である。
庵主は自腹を切ってでもうまい酒を呑みたいと思っている呑み手である。
自分が呑みたいと思ったうまさを満たしてくれない酒をまずい酒と呼ぶのである。
なにもまずい酒に義理立てする理由がないからである。
そういう酒でもという表現はそれがまずい酒であることを暗に示しているではないか。
酒の違いが判ってもうまいかどうかの判断ができないのなら宝の持ち腐れなのである。