「♪ 折れた煙草の吸殻で あなたの嘘がわかるのよ」(聞き書き)という歌があった。
庵主は馬鹿だから、文字通りその「吸殻」に目をやって、どうして煙草の吸殻で男の嘘が判る
のかといつも疑問に思っていたものである。今は、なぜ男の嘘が判るのかが分かったけれど。
そうなのだ。庵主は吸殻にしか目がいかなかったのである。
しかし、女は、男が煙草の火を消すときの仕種やその時の表情から男の心を読み取ったという
事だったのである。
すなわち、庵主は見るところを間違えていたのである。
お酒を呑むときに、多くの人はアルコールを呑んでしまうのである。
しかし、庵主はそのアルコールの上に浮かんでいる「旨い」部分だけを味わっているである。
「旨い」はお酒全体の中では極々微量の快感である。
「旨い」に目が行かない人は、アルコールの毒性に呑まれてしまうのである。二日酔いになる。
度を越すと、肝臓を傷めて体を壊してしまうのである。御愁傷様、である。
庵主は、歌詞が聞き取れない合唱曲が苦手である。
そもそも歌詞が聞き取れない歌を良しとしない気風があるからである。
しかし、いま氣がついたのである。合唱曲は歌詞に目を向けちゃいけない、と。
建築は平面図でなく内部空間であるように、合唱曲のキモはその立体感だったのである。
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本文中で、歌の歌詞を(←これも馬落になるのかな。口語調としてこのままで通す)「聞き書き」
と書いたが、「聞き書き」というのは、庵主の耳に聞こえたとおりに書き起こしたという意味だ。
歌詞の原作には当たっていないので、漢字の使い方が違っているかもしれないという事である。
ここで、念のため、というか、わざわざ原作を確かめてみた。
『折れた煙草の 吸いがらで
「吸殻」ではなく、「吸いがら」だった。「わかる」は「判る」や「分かる」でなくて当たり。
そして、曲名が「嘘」ではなく「うそ」だったのである。平仮名の「うそ」なのだ。なるほど。
庵主は「吸殻」に目をやってしまったのである。
「吸いがら」を見るところなのに。
見るところが逆だったのだ。それではいくら考えても歌詞の意味がわからないのである
新幹線の「7分間の奇跡」は掃除人の技に目が行くが、核心はその乗客の民度にあるのである。
乗客が、例えばチャイニーズペキンのように、列車内にゴミをまき散らすようなところでは
いくら新幹線の掃除人に技があろうと、7分間で車内清掃はできないのである。
ゴミをかき集めるだけでも7分簡では足りないからである。
その奇跡は、日本人という民度が支えている奇跡なのである。日本では当たり前の奇跡なのだ。