標題の二つは、いずれも、先代の日本人の知恵である。
庵主は、それを「汚い物は見るな」という忠告だと思ってしまうのである。
言葉の理解力の限界がそれだという事である。
近頃都に流行るものは「コオロギを食え」である。端からアホと判る論調なのに、である。
あの「ビル・ゲイツ」もそれを言っているというから、それはギャグなのである。
「ビル・ゲイツ」と書くから、さも権威があるように錯覚してしまうのである。
大金持ちという看板に騙されてしまう。
大金持ちだからといって、頭がいいわけではないのである。使い勝手はいいかもしれないが。
だれにとってかは言うまでもない。電網界ではそれは常識だからである。
しかし、「電網界の常識は世間の非常識」である。この地球に認識の異なる二種類の人達がいる。
「純米酒」と「アル添酒」もそれだろうが、お互いに代替がきく関係だから悪意はないのだろう。
しかし、DSとそれを否定する見方は互いに対立するのである。
間違った方を選ぶと地獄を見ることになるというおっかない関係なのである。
「地獄」と言ったのでは刺激的なので、それは「不幸」と言い換えておこう。
故に、アブナイ見方の方を取ってはいけないのである。身の安全のために、である。
日本人にコオロギを食わせようというは「日本政府」が真顔で言っているのである。狂っている。
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さて、本題はこれからである。
中杉節はいうのである。『中国人は、料理店で使われた廃油を下水に流すと、下水から油を
拾い上げます。何回も濾過して透明に近くなると、再び食用油として売っているのです。今も
そうです。70%が廃油を使っているのです。[日本人なら理解できない話である]
安い中華料理店へ行ったら、まずそれを疑わなければいけません。廃油は下水に捨てる油です。
下水に捨てた油をすくいあげて濾過して、また食用油として使うのですから、そんな油を使った
料理などを食べたら、体によいわけがありません。』(典拠)。 それがどこまで本当の話かということである。
日本国内の中華料理店でもそんな汚い油が流通しているのか。中杉節はそこが曖昧な書き方を
しているのは、先生が、頭の悪い証左である。曖昧日本語を駆使しているから、本物の日本人
なのかもしれないが、眉につける唾の用意は必要なのである。でも面白いから正義なのである。
排溝油〈はいこうゆ〉が流通しているのはチャイニーズペキン国内の現実で、日本では以下省略。
南鮮の食堂では、先客が食べ残した残飯を、次の客の料理に再利用すると言われている。
それもどこまで本当かは、南鮮に行ったこともない庵主には判断できないのである。
そういうものだ、という話として聞き流すしかない。
で、南鮮人の料理店が集まっている新大久保でもそうだったという話を読んだことがあるのだ。
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その店でアルバイトをしていた日本人がそう書いているのを雑誌の記事で読んだことがある。
ためにする、雑誌を売るために、わざといかがわしい事を書きつらねるということはよくある事
だから、活字で書かれた事を信用する事は危険であるが、活字で書かれているともっともらしく
思えるのである。日本人の「文字信仰」である。「文字」と書いて「ウソ」と読むものなのに。
欧米では、マスコミが伝えている事を信用する人は20~30%ぐらいなのに対して、日本人は
60%を超えているという記事を読んだことがある。
その数字もまた「マスゴミ」が作ったものかもしれないけれど。
良く言えば、日本人は「素直」なのである。この「素直」は「ばか」と読むのである。
日本人には本音と建前があるという。
一般的に、本音はエグイのである。建前は美しい。当たり障りがないということである。
例えば、本音で「HAGE」とか「BUSE」などと言ったら、言われた人は傷つくのである。
なので、それを「軽快な髪形ですね」とか「化粧映えのする顔立ちですね」とか言うのである。
いや、それに関しては、本音を口にする人は「三流」、一見当たり障りない表現で口にする人は
「二流」で、「一流」はそんな話題を口にしない、というのか正解か。
物事の対応に、三流、二流、一流があるとするビジネス本を軽く立ち読みしたことがある。
今思えば、あの本は買っておくべきであったが、それも軽い後悔である。本は出合ったら買え。
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お酒も、「旨いお酒に出合ったら呑んでおけ」というものである。
本ならあとから探せばまだ手にはいるが、うまいお酒は他人に呑まれたらなくなってしまうから。
その本もだが、お酒もまた、齢をとると疎遠になる。
活字は、老化が進む目にはきついからである。
庵主は右と左の目の視力が異なっていて、活字にピントを合わせるだけで疲れるのだ。
「本は若い内に読んでおけ」というのは、若い内に手抜きをするなという忠告かと思っていたが、
老いた目には活字化はきついぞという忠告だったのである。
ま、若い人がこれを読んでいる事はないだろうが、先達の言葉の意味はそうだったのである。
酒量も、老いてくると、例に洩れずどんどん小さくなってくる。
量が呑めなくなるのである。
しかし、これは、逆に、少量でお酒を楽しめるようになるという事だから、呑み方が変わると
思えば福音である。活字と違って、齢をとっても楽しめるぞという事なのだから。
さて、廃溝油はチャイニーズペキンの特産品みたいだが、コオロギ食はあの「日本政府」が予算
をかけて推奨する政策なのである。「日本政府」もトチ狂ったか、いや、岸田総理の本気かな。
推進大臣があの「河野コオロギ太郎」である。そこまでDSに身も心も捧げたいか、である。
現に捧げているのだから、否定する要素が全くないのが可笑しい。いや、哀しい。