客観的に言って、「うまいお酒」もあれば、逆に「そうでないお酒」もあるのである。
「利口な人」がいて、「そうでない人」というか、「馬鹿な人」が本当にいるように、である。
そういう現象を指して、日本人は「目明き千人、盲千人」と言ってきた。
「美人」がいれば、「そうでない女」もいるのがこの世の習いだという事である。
それらの、両極端にいないことは幸せなのである。それを凡庸とは言うが。
変な才能があると、大谷翔平クンみたいにバットでボールを打つだけの人生を歩むことになる。
折角お金を稼いでも、忙しくてそれを使っている時間がないという人の話も聞く。
好きでやっているのだろうから、端からとやかく言うことはないが、幸せなのやら不幸なのやら。
お酒はおいしい方がいいが、それもいつもそればかりだと飽きてしまうのである。
時には、息抜きのお酒を呑みたくなる。金のかかる幸せしか知らない人を羨むべきか、である。
全ての人がうまいお酒だけ求めてもそれは叶わない。
全ての男が美人を求めても、叶わないように。妥協する幸せというのもあるのである。
「低スぺ女」というのは結婚市場では見捨てられてしまう女の人をいう。
なんでもそうだけれど、その競争社会から外れれば自由になれるのだが、今いる社会から外れる
ことを挫折と思う狭い判断基準でいる限りは、その社会から離れる事に思いが及ばないのである。
定年後という、競争のない世界に庵主はいるが、競争をしなくても生きてはいけるのであるが。