ネットの動画によく出てくる、架空のフランス人や架空の支那人が真似できない事の話である。
『日本の電車には、日本の治安の良さと日本人のモラルの高さが凝縮されていた
私たち[架空の]
フランス人も、もっと日本人を見習うべきねと思ったわ』(
典拠17:40)。
お酒にもあるのだ。「フルーティーな香りのお酒」というのが。
お酒なのに、お酒の味がしなくて、果実の味わいなら、それはもうお酒じゃないのである。
「肌の色が黒人にそっくりの白人」がいたら、それは「黒人」という事になるように、である。
日本人そっくりのフランス人は、それはもう日本人であって、フランス人ではないのだ。
同様に、日本人そっくりの支那人は、それは既に日本人の範疇であって支那人ではない。
架空支那人が出てくる動画のオチは「支那人は日本人のいい所を見習わなければならない」と
いうものである。それは無理。日本人とは異なるから支那人なのだから。
日本人は外国の優れている文化を「見習う」ことはしない。できないからである。
日本人は、外国のいい文化を「取り入れる」のである。消化しちゃうのである。
支那から漢字や仏教などの文化を取り入れても、宦官とか纏足とか科挙といった文化は取り入れ
なかった。そりゃそうだろう。日本人の短い脚に、股下の長いズボンは合わないように。
欽ちゃん曰く。「足は短くてもいいの。ちゃんと歩ければいいの」と。足は用なり。見栄に非ず。
庵主は日本人が好きである。清潔だから。造るお酒がおいしい(ただし一部のみ)からである。