それがフジテレビなら「廃れた局部」とも読めるのである。もう役目を終えてしまったそれだ。
栄華の終わりのことである。いや、栄華の記憶と言ってもいいのか。
せっかく栄えたものが寂れていく寂しさの事である。郷愁である。
「あー、あの頃はよかったなぁ」という記憶をたどって過去の栄光に浸ることである。
フジテレビといえば、「楽しくなければテレビじゃない」と謳っていた局である。
名セリフは「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ」である。
自分が作ったセリフが自分に降りかかってくる身の不幸とでも言って笑って見てればいいのか。
「明日はどうなるか」、そして「この先どうなるのか」。フジテレビの命運はいかに。こんな
面白いドラマはなかなかないのである。なので、見ていて楽しいのである。TV局の面目躍如だ。
「廃局」という言葉は本来なら陰気臭い言葉であるが、今度ばかりはそれが希望の光に見える
のである。腐れ切って腐臭を発していたTV局の一つがやっとなくなって綺麗になるぞと。
フジテレビで食っている人達には申し訳ないが、「早く潰れてください」と言うしかない。
日本人に希望の光を注いでくださいと。フジテレビには何度も日本人が馬鹿にされてきたのだ。
それも度を越したら、温厚な日本人も怒るのである。左翼じゃないが完膚なきまでに叩き潰す。
廃の字の発の字には旨いという意味があるのかもしれない。お酒の醗酵も酉に発なのだから。