目にゴミが入ったときに、それを流し出そうとしても涙が速やかに出てこない事がある。
そのためだけに、少量しか必要ないのに、わざわざお金を出して目薬を買ってくることは、年金
暮らしの庵主には選べない選択である。お金が勿体ないからである。
お金を使うのが勿体ないのではない。質素な生活のリズムを崩すことが勿体ないのである。
黙っておけば静かに長く滑空している筈の紙飛行機に横から息を吹きかけるようなものだから。
が、世に救世主ありである。この映像を見れば、涙が出てくるである。にじんでくるのである。
『それにしたって本当に全てが神がかってる
素敵すぎてまた泣く』(その米)。
大谷のホームランも凄いが、それは1回涙である。1回泣けばすむのである。好きな人以外は。
しかし、これは、催涙性がある、いや、再涙性である。何度でも涙が出てくるのである。
いうならば、「貧乏人の目薬」である。目に入ったゴミを流し出すための無代の目薬なのだ。
まさか、ご本人達は、それが目薬として役立っているとは思ってもいない事だろうが。
『このふたりを越えるカップルは今後出ないかも? 凄いものを観てしまった!』(その米)。
感動語の最上級が、いや極致がそれだ。『凄いものを観てしまった』である。
「うまいお酒」の最上級の賛辞もそれである。「凄いお酒を呑んでしまった」。それまでの経験
では評価できないお酒の事だ。そして「あー、日本人に生まれてきてよかった」で締めるのだ。
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『お名前はニュースや記事で知ってはいたのですが、昨日初めて、お二人の演技をみました。
あまりにもキレイで、優雅で心が震えました。愛おしいと思える感情が溢れてくるんです。
素晴らしい。』(同米)。その感情の震えは庵主だけじゃなかったのである。何者だこの二人は。
庵主もたまたまその映像を、五輪の断片として、なんの興味も期待もなしに、今時の五輪って、
何をやっているのだろうかという軽い気持ちで見てみたのである。
あれれ、見ていて引き込まれたのである。先に笑いがこみあげてきたのだ。だまっていても涙が
出てきたからである。涙と笑いが同時に襲ってくるという最高の悦楽に見舞われたのである。
じつは、その感情の揺れは、庵主はすでに「うまいお酒」を何度も体験して知っているのだ。
そういうお酒を呑んでいると、じわーっと湧いてくるのである。喜びが。理屈ではないのである。
だまっていても自然に湧いてくる感情の揺れである。眠っていた感情が目覚めるようにである。
その根本は、「あー、日本人に生まれてきてよかった」という感謝の気持ちなのだろう。
「気持ち」の「ち」が目障りなのである。「ち」を送らなくても「きもち」と読めるから、普段
は「気持」と書くのが、当ブログの標準表記である。「代表取り締まり役」と書かないように。
しかし、ここでは、あえて「気持ち」書いたのである。本当は「きもち」と書くところだが、
文章の中では可読性(視覚的な読みやすさ)を優先して「気持ち」とせざるを得ないのである。