上に向かうお酒がうまいお酒
試飲会のあとでまずい酒のことを口にしたら
まずい酒というのはありませんよとやんわり窘(たしな)められたことがある。
それはいずれも呑ませ手の口から出た忠告だったが。
庵主は酒を呑んでいるのではなく、
文化としての日本人の酒造りを味わっていたのだと気づいたことを書いた。
だから庵主がいうまずい酒とは状況によってうまくなっりまずく感じたりする
酒そのものの味わいをいっていたわけではなかったということなのである。
うまいお酒を造ろうという意欲がこもっているお酒をうまいお酒といっていたのである。
その意欲が感じられないお酒をまずい酒といっていたということである。
日本酒はだれが造りはじめたかはわからない。
しかしその後は少しでもうまいお酒を造ろうという意欲が今日のお酒を成したのである。
いいお酒を呑んでみると庵主でもうまいと思う。
酒が呑めないのにそのお酒に込められた気持ちが伝わってくるからである。
上質な日本酒は芸術品であると思う瞬間である。
そういうお酒とは別の世界にあるお酒のことをまずい酒だといっていたのである。