ただうまいお酒が呑みたいだけ
誰かに導いて貰わないと不安でしかたない人。
いずれも東良美季さんの言葉である。
こういう本質をついた言葉がただで手にはいるのがブログのいいところである。
もっとも日本語をあやつっている人もその言葉自体の仕入れ原価は只なのだから
それに付加価値を付けて高く売るというのははったり意外のなにものでもないが。
こうして長い間お酒を呑みつづけてなんとなくお酒が見えるようになってくると
それは世間を狭くすることなのに酒を人に語ってみたくなるが自制しているのである。
一つの価値感だけが大きくなると生きにくい世の中になるということである。
その価値観が自分にとってはいいものだと思うものであっても
それを信奉しないのは間違っていると思うことはそっちのほうが間違っている。
庵主はうまいお酒しか信奉しないが、それは違いをいっているだけなのである。
そういう酒しか呑むなとはいわない、そういうお酒が多くなるといいなとはいうが。
ただ自腹を切って呑むのならうまいお酒がありますよと案内しているだけなのである。
自分が飲む酒は自分で選べばいいし、うまい酒は自分で決めればいいことである。
庵主はただ自分がうまいと思うお酒が呑みたいだけなのである。