呑む快楽から呑まない悦楽に
いつまでも若くはないということであるが、
新境地が拓けてくるということでもある。
それは未知の悦楽だったりするから長生きも悪くはない。
庵主のお酒はこれまでは呑む楽しみだった。
呑まない楽しみがあるということを知らなかったのである。
これまでは酒で体をいじめるというマゾヒズムの快楽だったのである。
ようするにそんなに量を呑まなくてもよくなったということである。
一般的にそういうことを老化現象というが
美称ではそれを新境地が拓けると表現するということである。
呑んだことがないお酒を見るともう呑めないのが分かっていても呑んでしまった。
それがぐっと我慢できるようになったのである。
呑まないでそのお酒の味わいをあれこれ想像する楽しみを知ったのである。
釣り逃した魚は大きいというがそれと同じ想像力に遊ぶことを覚えたのである。
呑まなくてもお酒は楽しめるということに気づいたのである。
それが我慢と辛抱という言葉がもたらしてくれるより高度の悦楽なのである。
