酸味の輝き
庵主がうまいと感じるお酒はまずは甘いお酒である。
というのも基本的にはお酒だけしか呑まないからである。
肴が混じるとお酒の味が“にごる”からにほかならない。
というのも、庵主は量が呑めないので猪口にわずか2杯のお酒である。
肴を口にしながら呑むほどの量ではないからである。
酒が回って酔っぱらってくると食い物の味わいがわからなくなる。
というより、料理の味はどうでもよくなるから折角の食べ物が勿体ないと思うからである。
量を呑まないときには甘いお酒ではないと酒を呑んだという満足感が残らないのである。
水のようにさわりのない呑んだのだか呑まないのか分からないようなお酒とか、
超辛口のように味覚の必要がない男気の強いお酒は駄目である。
そういうお酒は駄目というよりは呑んでいて面白くないということなのである。
なぜなら能書きが言えないので時間持ちがよくないからである。
甘い酒だから必ずしもうまいというわけではないが、
甘くてうまいと感じるお酒はその酸味がうまいのだということに気がついたのである。
爾来お酒を口にするとまずその酸味を心して味わうことが庵主の流儀となったのである。