長岡鉄夫という趣味人
評論家というよりはオーディオの趣味人である。
いまでもオーディオ評論家(芸者)などという商売はあるのだろうか。
パソコンが流行る前にあったブームがオーディオブームである。
いい男たちが音響機器から出てくる音の善し悪しを論じて興じていたのである。
屁理屈と自己満足のオンパレードだったが、それが面白かったのである。
再生音を論じるのだから、そもそもがおかしい世界なのである。
原音の美しさを愛でるのではないという変態的な趣味だった。
お酒で言えばこの合成酒はいかに本物の酒に似ているかと論じているようなものである。
それなら最初からうまいお酒を呑めばいいのであるがそれでは話にならない。
だからその世界は声がでかい方の間違っている主張が勝つという噴飯物の世界だった。
長岡鉄夫はいう。
オーディオの理屈なんか、同じことがいいとも言えるし悪いとも言えるものなのだと。
スピーカーコードは純銅線がいいという説に対してそれは有害だという説を書いていた。
長岡鉄夫は、あれこれ語ることが楽しいというさめた人、即ち本物の趣味人なのである。
これって、お酒の世界もそれと変わらないのである、だからお酒はおもしろいのである。