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昔のお酒

三十年前の日本酒事情である。
庵主の場合について書く。
うろおぼえの記憶をたぐって
いま思えば懐かしいお酒について書く。

庵主が日本酒を呑みはじめたきっかけは
一冊の本を読んだことにあった。
それは当時の三増酒全盛の酒造りを批判する本だった。
それは啓蒙の書であった。

三増酒をやめて純米酒を呑もうというものである。
素直だった庵主はその趣旨に納得した。
その頃から日本酒が少しずつうまくなってきたのだから
多くの呑み手が同じような思いでいたということである。

かっこよく言えば、
今日のうまい日本酒を盛り立ててきたのは
庵主の世代なのである。
お酒に対する感度が高かった現代っ子たちである。

悪く言えば
食い物なんぞに興味を示す
贅沢(あほ)世代が台頭してきたということである。
いくらいい酒を呑んでも人格が高まるというものではないというのに。

その頃は純米酒が売っていなかった。
デパートをいくつもまわったがすべてがアル添酒ばかりなのである。
ただ一本、北海道の生一本「北の誉」だけが燦然と輝いていた。
が、それを呑んでも庵主にはうまいという感興はわかなかった。

お酒を呑みはじめたばかりである。
酒の味がわかるわけがない。
「黄桜」の純米酒があったように思う。
いい酒を扱っている酒販店もよく知らないときだった。

地酒ブームが起こる前だったろうから
どこの酒屋にいっても
ナショナルブランドのお酒が並んでいた時代である。
「越乃寒梅」は当時から幻の酒と呼ばれていたように思う。

菊正宗が日本酒教室というのを開いていた。
日曜日の朝から一日かけて
日本酒の基礎知識からはじまって
最後は実際にお酒を呑んで修了するという日本酒入門講座である。

あえて庵主が日本酒を呑みはじめた日を決めるとすれば
その講座を受けた日だろう。
「あて」という言葉を初めて聞いたのはそのときである。
そしてしこたま呑まされて帰りの駅の便所でしこたま吐いたことを覚えている。

うまい純米酒に出会ったのは
「菊正宗」の「雅」である。
一升瓶で五千円だからかなり高い酒である。
しばらくの間はその味を基準にしてお酒を呑んでいた。

それよりうまいお酒がいい酒だった。
それと呑み比べて味の違いを覚えていったのである。
日本酒の啓蒙書が出ると
片端から買ってきてお酒の知識を蓄えていったのである。

うまいお酒を見つけるための知識に貪欲だった。
俺はいい酒を知っているという見栄である。
日本が一段と贅沢に向かう時代だったのである。
庵主はまた贅沢という字を「のうがき」と読んでいるのである。
by munojiya | 2005-05-13 23:03 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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