日本人に生まれた幸せ
本当にうまい日本酒を口にしたときにしみじみ滲み出でてくる思いがそれである。
日本人に生れたゆえに、そのお酒のうまさが心からわかるという喜びである。
そして、うまいお酒をきちんと造ってくれる同じ日本人がいるという安心感からである。
もっとも今は外国人の杜氏もいるから、
このお酒を慈しんで造ってくれる同士がいるという連帯感といったほうがいいか。
同じ釜の飯を食うということが日本では仲間意識を養うための儀式である。
いくら同じ釜の飯を食っても嫌な奴は嫌であるがそれを表に出さないことになっている。
それは社会生活の知恵なのだと思う。
次から次にわいてくる恨みの感情や嫉妬が暴発するのを防ぐしきたりである。
理屈ではなく、しきたりだから逆らえないのである。
さらに、うまいお酒を共に酌み交わすというのは飯を食う以上の高尚な仕組みである。
大人の交わりを要請されるからである。
酔って乱れてはいけない、勘定の支払いが汚くてはいけない、といった縛りがある。
綺麗にお酒が呑めるようになったら自分も少しは大人になったかと微笑めるのである。
お酒の味がうまいと感じることができる文化の中に生れたことの幸せを感じるのである。