「消費者」ぎらい
女は産む機械とたとえて大方の反発をくらった大臣がいたが、
消費者という言葉は、庵主にとってはその産む機械の語感に匹敵するのである。
産む機械と言われても気にならない人も少なくないから個人的な感覚である。
消費者のなにが気に食わないのか。
人間は、ものを消費するために生きているのか、ということである。
その身も蓋もない露骨な言葉遣いに対する不快感なのである。
そうじゃないだろう、生きるために必要な物を活用しているのである。
それを消費と見るのは人間性に欠けている経済学者の物の見方なのではないか。
命の見方が軽薄なのである。
俺は消費者なんかじゃないという人間としての自尊心がその言葉を毛嫌いするのである。
生き続けていることで自分は命をつないでいるのだという自尊心があるからである。
庵主はお酒を呑むが、それはお酒を消費しているわけではないのである。
嗜んでいるのである、命を寿いでいるのである、けっして消費しているわけではない。
それはお酒というものを、心の潤いに転化しているのである。
お酒には呑み手という言葉があって、だから庵主はそれを好んでいるのである。
