音がぬるい
デジタル録音は、あれは音楽として聞く音ではない。
音には違いないが、人の心に響かない音なのである。
そういう音は俗音というべき音で、それは一言でいえばぬるいのである。
古い流行歌のアナログ録音の音を聞くと実にいい音で録られていることがわかる。
ヒデとロザンナの「粋なうわさ」の音を聞くとその立体感に心がしびれるのである。
ロック音楽のように大音量でしびれさす音ではなくその美しさでしびれさせるのである。
藤圭子の「夢は夜ひらく」も奥村チヨの「恋の奴隷」のレコードの音も心を揺さぶる。
今の録音はたしかにきれいなのである、しかしその音が心にひびいてこないのである。
音だけではない、煙草がスカスカの味わいになってしまった。
昔の煙草の味わいはいかにも自分は不良をやっているという苦みがあったが
いまの軽い煙草はまるで煙草喫み人形が吸うおもちゃの煙のようである。
お酒もそうだが、酒類の味わい自体が世界的にそういう軽い傾向に向かっている。
その味わいは昔と比べて本当にきれいになったものの心を揺すぶる力がないのである。
女の子が化粧が上手になって一見きれいに見えるようにはなったものの、
その美しさに深みがないのに気付いてむなしさを感じることを時代の進歩というのだろう。
