宗教は平気で人を殺すためのおまじない
自分たちだけがよければいいという独善的な宗旨を掲げる宗教である。
「しゅうきょう」という音に別字を当てると臭狂とか執凶とかになるが、
その音が意味するところはそんなところだろう。
文字が意味をあらわすのではなく、発音がその意味をあらわすものだからである。
例えば教育を狂育と書いてもその本義はたいして変わりないということである。
「きょういく」という音に含まれている響きにその意味の本質があるからである。
それに当てられた文字は、たんに衣装にすぎないからである。
一つの宗旨にはまると他宗派の信者を平気で殺せるようになるのは
実は人間の知恵なのかもしれない。
その点、日本の神道(しんとう)は人殺しをしない宗旨である。
そこいらの雑宗に比べると断然精神的到達度が高いのである。
精神的に人を殺すのが平気になるのが宗教なら、
肉体的に人を轢き殺せるようになるのが飲酒運転である。
落語では、私はもう酔っていますからという人はホントは酔っていませんね、という。
俺は酔ってないという人にかぎって十分に酔っているというのが噺家の考察である。
