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幸せ、それとも不幸せ

味にこだわる少数派のことを幸せ組と書いたが、
はたしてそれが本当に幸せかどうかは考えものなのである。
まず、こだわるという言葉自体が本来はマイナスの評価だということである。
どうでもいい些細なことに異常な執着を示す行動をいう言葉だからである。

昨今は大して変わらない違いに興味を示す熱心さを讃える場合にも使われているが、
興味のない人からその行動を見ると物好きな暇人としか思えないのである。
だいたい、食い物の好き嫌いがあるという人間は未熟としか見えないのである。
ピーマンが嫌いとか、人参が食えないという大人を見たら同情するより呆れるだろう。

いい大人が子供みたいな偏狭な味覚しか持っていないことに未熟さを感じるからである。
もっとも蕎麦アレルギーの人は蕎麦を食べると生死に関わることがあるというから、
同様にピーマンアレルギーとか人参アレルギーというのがあったら話は別であるが。
食い物の好き嫌いをいう人は人間の幅が狭いと見られるということである。

さらに、うまいとかまずいとかを論じる人間を見たら、しかも、それがお酒の話なら、
そんなことにしか興味はないのかと幻滅されること必定である。
日本では味にこだわる人は小人(しょうじん)としか見られないということなのである。
うまいまずいが分かるゆえに、それはかえって不幸なことなのかもしれないのである。
by munojiya | 2007-11-24 10:12 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya