日本酒の終焉
CG(コンピューター グラフィック)は、コンピューターで想像を映像化する技術のことである。
技術の進歩は早いから今では庵主の想像力を越えることがそれでできるにちがいない。
その気になれば物故(ぶっこ)した男優と女優が出演する新作映画も作れるのだろう。
その開会式に関しては、そこに人間が出ていてもそれ自体が本質的にはCGなのである。
大マスゲームというのはコンピューターがない時代のCGだったということである。
「ジュラシックパーク」で恐竜が実写のように動くのを見て庵主は映画は終わったと思った。
もうそれを越える感動はないからである、映画は越えてはいけない一線を越えたのである。
写真がフィルムからデジタル画像に変わったときも、庵主は写真はもう終わりだと思った。
写真に対する興味が急に失せてしまったのはただの加工素材になってしまったからである。
写真を撮るためのカメラから、カメラを売るために写真になってしまったといっていい。
瞬間勝負ではなく、暇人(尊称)のための時間浪費の趣味に化してしまったのである。
鑑評会に出品するお酒というのがあるが、庵主の興味の範囲外にある酒である。
もちろんそれらの酒は実にきれいなお酒なのであるが、残念なことにうまくない。
日本酒も技術に任せて一部のお酒はその一線を越えてしまっているのである。
本当にうまいお酒は一口接したときに気合が伝わってくる瞬間勝負の酒なのである。