服を着替えた人達
スターリンのソ連が自国民を虐殺すること2000万人(「共産主義黒書」1997年仏国で刊)、
毛沢東以来の中華人民共和国が同6500万人~(これって現在進行中なのである)、
カンボジアは同200万人と数は少ないが、国民の中核層を皆殺しにしたのだからすごい。
ナチスドイツがユダヤ人を150万人も組織的に逆殺したというが、数字が小さい、小さい。
ソ連が崩壊しても、人殺しに抵抗がない共産主義者がいなくなったわけではない。
そういう人達は、今は、赤い服を緑の服に着替えたのだという。
緑の服というのは環境問題である、フェミニストというモダンな服に着替えた人もいる。
赤い服といい、緑の服といい、それらはいずれも着ているものであって、
それを着ている人の精神構造は変わっていないということなのである。
歴史の教科書は服の色の違いは教えるが、それを着ている人の正体は語らない。
日本では教科書作りがその手の人にゆだねられているから語れないという事情もあるが。
真実は言葉で語るものではなくて、心で語るものなのである、嘘は通用しない。
ただ、言葉を使わないと正しく真実を伝えられないから、言葉を軽んじることはできない。
真実はどこにあるか、黙ってうまいお酒を呑んでいると見えてくるのである。
ああ生きているという実感が、生かされているという幸せが、天と気が繋がっている快感が。