誰かがついた嘘 <水曜日は二本立て>
信じれば、嘘も「真実」になるといった方がいいのかもしれない。
そしてずっとその「真実」に騙され続けることができれば幸せでいられるということである。
ただし、嘘に気付いたときのアフターケア(癒し方)を用意しておく必要があるが。
普通酒がうまいと信じたまま死んでいけるならそれはそれで幸せなことなのである。
世の中にはもっとうまいお酒があるのではないかと疑念を抱いたら悲劇である。
いま呑んでいる普通酒の嘘に気付いたら、騙されていた自分がみじめになるからである。
余計なお世話なのに、反動的に普通酒を信じて呑んでいる人を馬鹿にしたくなるのである。
普通酒がお酒なのだと、戦後に生まれた人は最初からそう思わされてきたのである。
百遍どころかそれが当たり前だと思わされてきたのだから、万遍なくだったのである。
そうなると疑念を抱くほうがおかしいのだが、人間の直感はそれを許さないのである。
現人神と小さいときから植えつけられてもそのうちそれは嘘だと気付いたはずである。
表面的にはただ気付かない振りをして身過ぎしているのである、波風を立てないために。
今度の恐慌で日本の金融機関の損害は小さいという嘘はだれがつきはじめたものか。
かつて麗しい日本があったというのも、実は誰かがでっちあげた嘘なのかもしれない。
幻想の日本がそこにあるということである、多分明治政府が造った夢物語がである。
