日曜日のくつろぎ篇 宮崎駿の補遺
この国に立ち込めている不安や将来に対する悲観的な考え方は、実は子どもたちには
全く関係ないことなのです。つまり、この国が一番やらないといけないことは、
内部需要を拡大するための橋を造ったり、道路を造ったりすることではなく、
この子どもたちのための環境を整えること。常識的な教育論や日本の政府が言っている
ようなくだらないようなことではなくて、ナショナリズムからも解放されて、
もっと子どもたちの能力を信じて、その力を引き出す努力を日本が内部需要の
拡大のためにやれば、この国は大した国になると信じてます。
アホか、ナショナリズムから解放されたら根無し草の人間になってしまうのである。
その桎梏(しっこく)があるから人間なのである、その一点で輝いて見えるのである。
男から金玉を取って、男から解放された男に魅力があるだろうか。
人間から悪心を取り除いたら魅力もなんにもない人間になってしまうのと同様である。
ナショナリズムを喪失した日本酒なんか、庵主なら呑みたくない。
呑んでもつまらないことが判っているからである。
庵主が宮崎アニメにのめりこめない(血が沸かない)理由がそれで分かったのである。
アンチ日本人漫画を書きつづけた手塚治虫の漫画はその気持ちがよくわかるのであるが。
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判る=違いが見えること。
分かる=得心すること。
わかる=好き嫌いは別にしてその気持ちが理解できること。
立場が違えばそう思うだろうと想像はできること。
