日曜日のくつろぎ篇 幸せな宮崎駿
庵主はなぜかその手の奔流に心が吸いよせられないのである。
何となく馴染めないのである、忌避しているというよりも、なぜか縁がないのである。
へぇー、そんなに面白いのか、と横目で眺めているだけで参加しようという気が起こらない。
興味がわいてこないのである。
学生運動の高潮期にも心が動かなかった、それは別世界の出来事に見えていた。
それに先立つビートルズも庵主はどこがいいのかわからなかった。
サザンオールスターズの活動停止にもさして感慨はない、それを語る話題すらないのである。
宮崎駿のアニメも血沸き、肉躍ることがない、新作が囃し立てられも血が騒がないのである。
アニメと聞いただけで、今は最後まで見続ける根気があるだろうかという心配が先に立つ。
でも実際にスクリーンに向かってみると最後まで見ることができるのだが、見る前はいつも
アニメなんかをいい大人が長時間も耐えられるのだろうかという不安に襲われるのである。
新作を、慈しむように自在に語ってくれるファンに囲まれている宮崎駿は幸せなのである。
「崖の上のポニョ」を見て、精神科医はそれがキリスト教の精神構造に由来することを見出し、
保守主義を標榜する人はそれを極左思想だと指摘するから作者の心は病んでいるのだろう。
それを見たいとは思わないのはうまいお酒を呑んだほうが言葉は自在に膨らむからである。
