満腹だけど満足じゃない <二本立興行>
では、その焼酎を呑めるかということである。
なんとなく不安なのである、安全なのに、安心じゃないからである、気のせいなのである。
体にはなんともないのに、頭がウンといわないというわけである。
毒性は残っていないのだから、知らずに呑めば「薩摩宝山」はうまいのである。
人は頭(快感)で食うという本があったが、お酒は気持ち(先入観)で呑んでいるのである。
ということは、その気持ちを説得できればまずい酒もうまいと思って呑めるということか。
庵主にはだめだが、「越乃寒梅」信者には壜がそれであればうまく感じるはずである。
その夢をこわすことはないのである、いやこわしてはいけない。
だから、庵主は「越乃寒梅」が出てきたら酒は口にせずにそのラベルを褒めるのである。
呑んだあとに、満腹感はあるのだけれど満足感を感じないということがある。
庵主はお酒の量は呑まないから、料理の数を頼むのである。
呑み終えたら客観的には十分満腹のはずなのに、なぜか空腹感が拭えないのである。
それで仕上げにラーメンでも食べたものならあとがよくなかったということが少なくない。
アルコールを呑んだ後はそうなるというのだが、食とは実は心を満たすことなのである。
今呑んでいるそのお酒で心はこの上なく満足していますかということなのである。
