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余外篇 詩を知る人は実は言葉がない人だった

詩が好きだといって語る人に、詩とは何かを教えてもらおうと質問を重ねていたら、
その人が、突然、切れちゃったのである、出てきた言葉が「おちょくるな」だった。
どうやら、庵主の言葉遣いの端に感動してしまったようなのである、意外な展開だった。
ひょっとして庵主には詩作の才があるのかもしれないとちょっと自惚れてしまったのである。

その後は、言葉を換えて取りなしても、相手は言葉が出てこなくなったのである。
ただ感情の昂(たかぶ)りだけは伝わってきた。
言葉に翻訳されていない相手の感情を庵主が理解できるわけがない。
庵主の態度に触発されて興奮しているのか、言葉遣いが気に食わなくて逆上したものか。

それが詩を語る人だった、庵主は詩もわからないが、詩を愛する人も理解できなくなった。
切れるというのは、自分の感情や思いをうまく言葉にできないときに生じる現象だという。
詩が読める人というのは、案外自分の感情を言葉にできない不器用な人なのかもしれない。
純粋な言葉にしか反応できないのだから、切れた人は本当に詩がわかる人だったのか。

庵主はお酒を呑んで感じた思いを一生懸命、いやお酒だから一升懸命と書くが、
お酒が秘めている感情を言葉に移しかえているのである。
その感情は豊穣で一言では書ききれないから、それは長い文章になってしまう。
「むの字屋」がやっているのはそれなのである、全部が全部でお酒の心なのである。
by munojiya | 2008-12-14 09:06 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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