生きるということは命を食うこと <二本立興行>
非情だとも思う。
人間が生きつづけるためには多くの命を食らわなければならないということがである。
庵主がただ生きているというだけで、数多くの命が非業の死を迎えているのである。
今食っているこの肉は生きている豚のそれだった。
昨日食った魚は水の中で生きていたそれだった。
それらの命を日々平気で弄んでいるのである。
庵主が、ただ生きるためにである。
食物連鎖という言葉がある。
地上のある生き物は食われるために生きているということである。
生きていないものには命がないから食っても役に立たないのである。
命は命を食って生きつづけるような仕組みになっているようである。
仕組みだから疑問を持ってはいけなのである、疑問を抱くと馬鹿をみるだけだからである。
動物の命は食わないという菜食主義者も植物の命は平気で食うのだから自己欺瞞である。
他の命を食うことが、自分の肉体を維持するための天意なのだとしたら、
うまいお酒を呑むことは、その天意と心を交わすための慰めとしての食なのである。