番外篇 新聞という読みやすさ
それは新聞は無用だというわけではなく、
庵主が求めるものが今の新聞には載っていないからに他ならない。
庵主はお酒を嗜むが、それはうまいお酒だからである。
まずいお酒にお金を使いたいとは思わないのである。
庵主にとってはちっともうまくない新聞を取らない理由である。
では、ネットの情報は大丈夫なのかというとこれがまた危険なのである。
自分の好きな記事しか選んで読まないから、世間の風が見えなくなるからである。
その点、世間の風潮を満遍なく載せている新聞は偏りがないといえばいえるのである。
朝日新聞などは、戦前は戦争を賛美していたのに、戦後は一転して反戦で売っているから、
偏りがないと一概にはいえないが、それが受け入れられる風潮があるとはわかるのである。
ネットの記事は責任者不明でその内容を操作できるからそっちの危険性も小さくない。
お酒と同じで、能書きを真に受けて呑むと騙される可能性が高い、大きい、避けられない。
庵主は、馬鹿の一つ覚えのように可読性(可読性。読みやすさ)という言葉を使うが、
紙の新聞はなんといっても読みやすいのである、最近はその印刷も綺麗になった。
綺麗といっても美しいとはいわないが、ネットでは味わえない読み心地と手触りなのである。