人は一人では生きていけない
そんなことは当たり前のことじゃないかということなのだが、しかし、
その人が言いたいことは自分はなぜ生きているのかということなのである。
たしかに不思議なのである。
人は食い物を食わないと生きつづけることができない。
なのに、庵主は、いまだかつて自分で食う物を自分で作ったことがないのである。
だれかが食わせてくれているのである。
しかも、庵主に対しては、義理も、縁も、借り、もない人がである。
庵主が食べる物を作ってくれる人はなぜ庵主に尽くしてくれるのか。
名前も顔もわからない人達はなぜ庵主に食わせてくれるのか。
庵主は、生きているのではない、生かされているのだということなのである。
ということは、庵主の存在もまた他の名も知らない人を支えているということである。
ただし、庵主が口にしているお酒を造っている人の顔と名前は、何人かは見知っている。
お酒の世界では、他人に頼ってもいいのである、依存しても非とされることがない。
わが国では自分が呑むお酒を自分で造ってはならないという決まりがあるからである。
悪法も法なりという重宝な言葉があるから、ちゃっかり便乗しちゃっているのである。