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セックスの本質

セックス、すなわち男と女の肉体接触が気持ちがいいのは、
気の交流が行なわれるからである。
電気でいえば+と-が相通じることで豆電球が点灯するのと同じである。
それはまた相手の肉体に蓄積した澱(おり)を放出させることでもある。

だから交流のあとには身も心も軽くなってすっきりするのである。
男と男、女と女の交流が不自然だとされるのは、澱がかえって深く籠もるからである。
同時にその快感は無我の境地である。
自分がとか、己がとか、私はとかいう自己認識は心の負担になっているのである。

禅というのはその自分を忘れること、すなわち無私の境地をめざしている。
自分が存在しているのにわざわざそれを無にするというのも勿体ない話だが、
自我から解放されることは実は気持ちがいいということなのである。
それは外から見ると、天の流れに合流することだから気持ちに滞りがなくなるからである。

禅は静的な無我の境地へのいざない法である。
スポーツは実は動的なそれなのである。
だからいずれも達したときは気持ちがいいのである。
お酒による酩酊はそれの簡易法なのである、だから気持ちがよくなるのである。
by munojiya | 2009-02-24 09:47 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


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