人気ブログランキング | 話題のタグを見る

食い物としての酒、芸術品としての酒

やればできるけど、やってはいけないことをやってしまうことを猟奇だと庵主はいう。
肉食というのがあって、牛とか豚を太らせてその肉を食うという食生活がある。
一頭の肉牛を育てるには、飼料として多くの穀物が必要だという。
肉牛を食べると仮に100人しか食えないとしたら、飼料の穀物なら1000人が養えるという。

そうして造られた食糧が果たして真っ当な食い物と言えるかということである。
その方がうまいのだから、うまさを追求して何が悪いかという考え方である。
それが文明の進歩というものではないのかというのである。
お酒だって、技術の進歩で今日のうまいお酒があるのだから、それと一緒だというわけだ。

庵主も、お酒に関しては、うまい酒しか呑まない。まずい酒は呑めない。
というのも酒なんか呑まなくてもいいものだから、呑むときはいい物を選ぶのである。
というよりも、日本人の酒造りの中に美意識を求めているからである。
お酒を味わう目的が、酔っぱらうためではなく、酒の違いを知るためだからである。

お酒には日常のお酒と猟奇的といってもいい芸術的なお酒があるということなのである。
庵主は猟奇的なお酒ばかり追いかけているから自分のことを変態と自覚しているのである。
しかし、一般の食い物はそのような見掛けだけのものであってはいけないのではないか。
もっとも今はそのうまさを食品添加物で作るのだからそれもまた問題なのであるが。
by munojiya | 2009-03-14 00:39 | 酩酊篇 | Trackback | Comments(0)

うまいお酒があります その楽しみを語ります


by munojiya